私の胃袋が哲学的覚醒を遂げたのは、南インドのアーユルヴェーダ施設においてでした。「食事が適切であれば薬は要らない」という古代の知恵を文字通り飲み込みながら、私は「食べる」という行為の宇宙的意義に目覚めていったのです。
「食事」という名の調合実験
アーユルヴェーダにおいて食事とは、単なる栄養補給ではなく、壮大な自然の交響曲に自らを調律する行為です。ヒポクラテスが「食べ物を薬とし、薬を食べ物とせよ」と言ったのは、アーユルヴェーダの先生に一週間付きまとわれた後だったのではないかと疑うほどです。
旬の食材には、宇宙のリズムと地球のエネルギーが凝縮されています。土地の恵みを口にすることで、私たちは知らず知らずのうちに地球という惑星の一部として再調整されるのです。「ローカル食材」という概念は、実は5000年前からのヴィンテージアイデアだったのです。
6味7色の法則:味覚版色彩療法
一日のメインの食事には、6味7色を取り入れるよう指導されました。「6味」—酸味・甘味・塩味・辛味・苦味・渋味—と「7色」—赤、緑、黄、白、紫、茶、黒—という組み合わせは、味のパレットでシステマティックに芸術作品を創造するようなものです。
この「食べる色彩療法」は、現代の食事が単調な「茶色と白の世界」に堕落している事実を痛烈に風刺しているようでもありました。

太陽と胃袋の秘密の関係
消化力は太陽エネルギーと連動しているので、理想的な食事量は朝:昼:夕=1:2:1。太陽が最も輝く正午に最大の食事を取ることで、私たちの体内の「アグニ(消化の火)」は最高のパフォーマンスを発揮するのです。
また、理想的な胃の状態は、食べ物50%、水分25%、空間25%。この「胃内空間理論」は、まるで禅問答のようですが、要するに「腹八分目」という日本の古い知恵と奇妙に一致しているのです。
さらに、食事は瞑想の一種。各咀嚼が宇宙の真理への一歩と捉えると、ファーストフードの存在は哲学的矛盾そのものであることに気づかされます。
朝食:南インド式目覚めの儀式
南インドの朝は、焼バナナ、ドーサ、ココナツミルクカレー、野菜スープという四重奏で始まります。特にドーサは、米粉の薄いクレープのような食感で、まるで「食べられる朝日」のようです。

そして締めくくりは、思考よりも濃い黒茶色のチャイ。この一杯で、脳内の霧は一気に晴れ渡ります。カフェインというより、液体になったエピファニー(啓示)を飲んでいるような感覚でした。
昼食:三次元味覚宇宙の探検
一日の食事のクライマックスである昼食は、毎回小宇宙の探検のようでした。カレー2種、野菜炒め、蒸し野菜、サラダという五大陸を巡る旅は、毎日異なるスパイスの星座の下で展開します。

使う野菜の種類やスパイスを毎食変えているので、ぜんぜん飽きませんでした。日本に帰ってからも、ときどきこの食事が恋しくなります。
特に記憶に残るのは「ウプマ」という料理。セモリナ粉を蒸した主食で、食感はクスクスに似ていますが、その複雑な風味は「砂漠に咲いた花」のようでした。

夕食:降下する太陽と共に静かになる胃袋
夕暮れと共に消化力も静かに眠りにつくため、夕食はシンプルな旋律へと変わります。トマトのビリヤニは、その夜の主役。バスマティ米の細長い粒一つ一つが、スパイスの物語を語りかけてきます。
手間暇かけたこの料理は、「複雑さの中にある単純さ」という禅の教えを体現しているかのようでした。
アーユルヴェーダの食体験は、単なる「食事療法」ではなく、自分の体と宇宙との対話です。日本に戻った今、スーパーの陳列棚を眺めるとき、私は無意識に「この食材は私の体内宇宙と調和するだろうか」と考えてしまうのです。
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